銀の匙
銀の匙 (角川文庫)銀の匙 (角川文庫)
(1988/05)
中 勘助

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今年の夏休み、中学生の娘が宿題の読書感想文のテーマにこの本を選んだ。

特に何を探すでもなく、二人で書店内をうろうろしていると、平積みにされた文庫本が目に留まり、その中の1冊が「銀の匙」だった。

ここ数年、どの出版社も名作の文庫本のカバーには様々な工夫を凝らしているように思う。

集英社文庫は人気漫画家のイラストだったり、角川文庫は手ぬぐい専門店とコラボした和柄だったり。

手ぬぐいや風呂敷の模様だという色とりどりの、それでいて奥ゆかしい和柄のカバーは ひときわ目を惹いた。

その中に、ずっと前から「いつか読もう」と思っていた 中勘助の「銀の匙」を見つけたものだから、娘に「読書感想文、これで書かない?」と聞いてみたのだった。

すると娘も「あ、私もこれにしようと思ってた」と言う。


なぜタイトルと作者しか知らないこの本を選んだのかといえば、昔読んだ氷室冴子さんのデビュー作「さようならアルルカン」に出てきたから。

手元に本がないので、細部が合っているかどうかは自信がないが、ヒロインがある種の憧れを抱いていた かつてのクラスメイトの図書カードを持っていて、彼女の足跡を追うようにカードに記されている本を順に借りてゆくというエピソードがあった。(と思う)

あまりに純粋で感受性が鋭いため、常に孤高の人だった彼女が、何がきっかけだったのか、いつからか道化のようになってしまう。

ヒロインは少なからずそのことに失望するのだが、周囲の評価は違っていて、彼女のことを「協調性が出てきた」だの「人当たりが良くなった」だのと言う。

その彼女が読んでいた本の中の1冊「銀の匙」が、どういうわけか 作者の名前と共に強く印象に残った。

作中では本の内容にまでは触れていなかったと記憶している。(少なくとも私には覚えがない)


以前、そのことを娘にちらっと話したことがあり、娘はそれを覚えていたらしい。

感想文を書き終えたら 私も読もうと思っていたのだが、今頃になってしまった。



読み終えて まず思ったのは、「よくこれで感想文が書けたな!」(笑)

作者の自伝的小説であり、伯母に育てられた虚弱で臆病な幼年期から 伯母の手を離れ 身体も丈夫になってきた少年期の思い出を、虚実を混ぜながら綴ったものだという。

移り変わる東京下町の歳時記でもあるような、美しい小説である。

が、しかし、漱石が東京朝日新聞社に この小説を推薦した手紙にもある通り「絵入り小説の如く変化や進行はあまり無」いのだ。

美しい日本語を味わうには良いが、中学生がこれで感想文を書くのは難しくないか?と、今更思っても 夏休みの宿題だったそれは とっくに提出済みである。

他の本を読んで新たに書き始めるには時間がなく、なんとか仕上げて提出したという。


感想文を書くためでなければ、それなりに楽しく読めただろうと思う。

銀の匙は、赤子の「私」に薬を飲ませるため 伯母が特別に探してきたもので、書斎の本箱の引き出しにしまわれた その銀の匙から作者の回想が始まる。

底抜けに人が好く、漢字は読めないが博識だった伯母に育てられた「私」は、当然ながら伯母の影響を強く受けて育った。

「仏性の伯母さんの手ひとつに育てられて獣と人間のあいだになんの差別もつけなかった私」は、既存の価値観に縛られることなく、独自の感性を育んでゆく。


友だちのお国さんの蒔絵の櫛や縮緬の薬玉の簪を見ては、自分が女に生まれなかったことを悔やみ、男はなぜ女のようにきれいにしないのかと思う。

「波の音が悲しいんです」と言って泣いては兄ににらまれ、「帰れ」と言われたりする。

日清戦争の頃、「日本人には大和魂がある」(だから負けない)と、シナ人を罵る先生に、「日本人に大和魂があればシナ人にはシナ魂があるでしょう。日本に加藤清正や北条時宗がいればシナにだって関羽や張飛がいるじゃありませんか。(後略)」と言う。


このような感性と 周囲に流されない価値観を持ち合わせた子どもであれば、当時は(今もだろうか)さぞや生き辛かったろう。

帯にも引用されている「生きもののうちでは 人間が いちばん きらいだった」という一文に、心から納得する。


「私」の思い出の中に出てくる人々は、男性よりも女性のほうがずっと印象深く、伯母さんに始まり、友だちはお国さん、お惠ちゃん、そして十七歳の夏の 友人の姉様との出逢いと別れを経て、この小説は終わっている。


生国に帰った伯母さんとの、十六歳の春の再会と別れは 不思議なほど淡々と綴られる。

老いて目もよく見えなくなった伯母さんが、愛し子をもてなそうと精一杯動き回る。

魚屋にあった鰈を洗いざらい買ってきて 煮付けにしてお皿に並べる。

寝床に入って、尽きぬ話をどうにか切り上げて、互いに寝たふりをした翌朝の別れは この上なく切ない。

門の前にしょんぼりと立って いつまでもいつまでも「私」を見送っている姿は、読んでいるこちらが 置いていくに忍びなくなってしまう。 


友人の別荘で過ごした十七歳の夏、数日を同じ屋根の下で過ごした友人の姉様の描写は、それはそれは美しい。

言葉遣いや立ち居振る舞いは上品で奥ゆかしいのに、匂い立つような色気を感じさせる。

手すら握っていない、言葉もろくに交わしていないというのに。

これは娘も感じたらしく、曰く「なんっにもしてないのに、なぜか色っぽい」と。


子どもの眼が映したもの、心が感じたものを、おとなになった当の子どもの手が その上を忠実になぞるように紡いだ、そんな小説だった。

独自の擬態語も目に楽しく、耳で聞いて美しい。

これは解説にもいくつか引用されているのだが、ここでは触れないでおく。読んでみてのお楽しみということで。


氷室冴子さんが「さようならアルルカン」の中でこの本のタイトルを出したことに、「なるほどな~」と ン十年ぶりに納得した。


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テーマ:小説 - ジャンル:本・雑誌

[2013/11/17 00:30] 中勘助 | トラックバック(0) | コメント(0) | @
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