夜のパパとユリアのひみつ
夜のパパとユリアのひみつ夜のパパとユリアのひみつ
(2004/11)
マリア グリーペ

商品詳細を見る


もう二年以上も前にブログに書いた「夜のパパ」の続編。
復刊ドットコムに熱心なリクエストが多く寄せられたタイトルで、「夜のパパ」と共に2004年にブッキングから復刊しました。


「夜のパパ」とは、ユリアの家に夜だけ留守番にやってくる青年のこと。

訳者あとがきによると、昼間、親が働いている間に子どもの世話をしてくれるベビーシッターの女性を、スウェーデン語で「昼のママ」と呼ぶことから、「夜のパパ」はそれをもじったものだろうということです。
正編では最後まで明かされなかった夜のパパのほんとうの名前が、続編のこの本では「ペーテル」であることがわかります。


夜勤看護婦をしているユリアのママが、ちいさな娘を一人にしておくのが心配で、新聞にこんな広告を出したのが事の始まり。


やさしい子守のお仕事
仕事をしながら眠れます
眠りながらできるお仕事



これに飛びついたのが、狭い部屋のベッドまでが本に埋もれて困り果てていたペーテルでした。
ペーテルは、前の住人だった貨物船の船長から、部屋と一緒にふくろうのスムッゲルを託されていて、それがまた睡眠不足の一因でもあります。(ふくろうは夜行性ですから)


最初の電話でのペーテルとユリアのママの会話は、二人ともが天然だとしか思えないボケっぷり(笑)


ペーテルはゆっくり眠れるベッドが欲しかっただけで、ユリアのママは娘を一晩中ひとりぼっちにはしたくなかっただけ。
双方とも、実は「子守」の部分はあまり重視していません。

それでももちろん面接はして、ペーテルのことを「とってもいい人」だと認めて採用したユリアのママは、ちゃんと人を見る目があったと言えます。
…ふつう、女の子の子守に男の人は雇わないでしょう。


ちいさいといってもユリアは学齢に達した子どもですから、「ひとりで留守番できる。夜のパパなんていらない。」と言うのですが、ママに言い負かされ「会わなくていいなら」という条件でしぶしぶ承知したのでした。


…そりゃそうだよね。見ず知らずの男の人が一晩中家の中にいるなんて、気持ち悪いに決まってる。


ところが、やって来たのはふくろうを連れた青年で、おまけに石の本(鉱物図鑑みたいなもの?)なんか書いてたりする浮世離れしまくった変わり種。
子守をするつもりなんかさらさらなくて、ユリアに「あたしの邪魔をしないなら、いてもいいわよ」と言われれば「絶対邪魔しないから、君も僕の邪魔をしないでくれ」なんて言うし。
まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったユリアにしてみれば、晴天の霹靂。却ってペーテルが気になってしまう。


トドメは、ペーテルがユリアの名前を知らなかったこと。
当然ママから聞いてるだろうと思ったユリアは、愕然としつつも嬉しくなります。
自分のほんとうの名前があんまり好きではないらしい。
これ幸いと「教えてあげない」なんて言ってみる。


「OK。じゃ、なんてよんだらいいの?」
「自分で考えなさいよ。」



…というやりとりの末、ペーテルがつけた名前が「ユリア」
「菩提樹の花咲く七月(ユーリ)」に生まれた女の子だから。


綺麗な名前だな~
ユリアもこの名前を気に入って、それ以降はずーっとユリア。
続編でも、ほんとうの名前は出てきませんでした。


そんなユリアとペーテルが、肉親でさえ容易く持ち得ないような深い絆を育んでいく様を描いた正編が「夜のパパ」

常日頃、血の繋がりのある肉親だということに甘えて、その上にあぐらをかいている家族の在り様を考えさせられる作品でした。


私はこの本が好きで好きで…
わけても「夜の女王」という花をめぐるエピソードがいちばん好きなのです。

ペーテルが、スムッゲルとともに前の住人から預かったもうひとつのたからもの。
めったに咲かないし、咲いても一夜きり、でも一たび咲けば世界でいちばん綺麗な花だという「夜の女王」(私は勝手に「月下美人」のことかなぁと思っているのですが…)。

預かってから一度もつぼみをつけたことのなかったその花が、初めてつぼみをつけた時のこと。
夜はいつもユリアの家で過ごすペーテルが、ユリアにそのことを話すと、ユリアは

「花に、ひとりぼっちでるす番させとくつもり?
自分がどんなにきれいか、ほめてくれる人もなしに。
だれも見てくれる人がなかったら、いくら美しくたって意味ないじゃない。」


と、泣きそうな顔で言うのです。


雨の夜、ペーテルの家へと向かう大荷物の二人は、ユリアの言葉を借りるなら「まるで月へ出かけるみたい。」
ペーテルはスムッゲルの鳥かごとオープンサンド(ユリアが作ったんです)の入ったバスケットを持ち、ユリアは花に聴かせるためのレコードを抱え、もう片方の手でペーテルに傘を差しかけて。


「もしもいつかあなたがすがたを消すんなら、いっそのこと月へ行っちゃうほうがいいな。
よその子の夜のパパになるよりは。 」



…ここまでは正編「夜のパパ」のお話。
ペーテルの家に辿り着くまでのふたりの楽しいやりとりはまだまだ続きますし、これは物語の中のほんのひとつのエピソードに過ぎません。


続編である本書「夜のパパとユリアのひみつ」は、「夜のパパ」から数年後。
ユリアの年齢ははっきり書かれていませんが、中学生くらいかなと思います。

形式は前と同じ、ペーテルとユリアが交互に書き、本が出来上がるまで相手の書いたところは読まないという約束の下、今度はペーテルが「書こう」と言い出しました。


ユリアはもう大きいんだから、「夜のパパ」なんていらないんじゃない?という周囲の声もなんのその、ユリアは依然としてペーテルを必要としています。
何しろ、周囲の認識(夜のパパ=子守)とユリアの認識(パパって、大きくなったら要らなくなるもんなの?)には大きな隔たりがあるので…


正編でユリアが住んでいたのは、古いアパートの最上階でしたが、この本では市が所有する古い大きな一軒家になっていますし、ペーテルは、新聞にものを書いたり、あちこちから講演を頼まれたりする、ちょっとした有名人になっています。
スムッゲルは、正編での一件以来放し飼い状態で、毎日のようにユリアの家かペーテルの家に遊びに来る、以前と変わらぬふたりの大切な友だち。


ユリアたちの住む家が再開発のために取り壊されるかもしれないという噂が流れ、古いけれど美しい家を守ろうとするペーテルとユリアの奮闘が物語の軸になっています。


日本なら、市営といえば思いつくのは集合住宅なので、古い一軒家を市から借りているという状況がどうにも想像しづらいのですが…。
それに、住人の都合はお構いなしで、「新しい住まいを用意したから早々に立ち退くように」なんて紙切れ一枚で片付けられるほど、居住者の立場が弱いというのもちょっと日本では考えられません。
別に家賃を滞納しているわけでもなく、住人に非はないというのに。
それとも、そんなものがもしあればの話だけど、家賃の要らない家だったとか?
ユリアの家は母子家庭だし、国が違えばそういうこともあるのかもしれませんが……日本人の感覚では測りかねます。


思春期という、人生でも一、二を争うほどメンドクサイ時期を迎えたユリアの不安定さも相俟って、正編ほど好きにはなれませんでした。
ユリアの言動にも行動にもイライラさせられるし、まるでユリアの思春期が伝染したかのようで。


けれど、相変わらず、ユリアの発する言葉は鋭く的を射ているし、ペーテルは嘘もごまかしもなく真正面からユリアに向き合ってくれる素敵な「夜のパパ」でした。
ユリアのちょっとした心の揺れまでも敏感に察知し、どんな質問にも「これはぼくの推測にしかすぎないが…」と前置きしつつ真剣に答えてくれるペーテルは、この先もきっと、ユリアのかけがえのない家族。

「普通」とは違うかもしれないけれど、こんな家族があってもいい。



ラストは文句なく美しく、素敵でした。


ブログランキングに参加しています。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。
くつろぐブログランキング参加中。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。
にほんブログ村ランキング参加中。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。
スポンサーサイト

テーマ:児童書 - ジャンル:本・雑誌

[2010/03/28 15:18] マリア・グリーぺ | トラックバック(0) | コメント(2) | @
忘れ川をこえた子どもたち
忘れ川をこえた子どもたち忘れ川をこえた子どもたち
(1979/01)
マリア・グリーペ

商品詳細を見る


「おくりものをもってきてくださるとき、あなたはわたしの願いごとを盗んでいらっしゃるのよ。
おわかりにならないの?」





スウェーデンの作家、マリア・グリーペのファンタジーです。
ファンタジーといっても、冒険ものとは違い、派手な展開も戦闘もなく、どこまでも深い静けさと仄暗さに包まれています。
児童書でありながら、ひとつひとつのエピソードが何かの象徴のように意味深で、むしろおとなが読むほうが、考えさせられたり共感したりするかもしれません。


貧しいガラス職人アルベルトと、美しい妻ソフィア。
二人の子ども、姉のクララと弟のクラース。
賢い魔女フラクサと片目の大ガラス、クローケ。
忘れ川の中州にある不思議な館に住む領主夫妻。
大柄で威圧的な子守り女のナナ。

主要登場人物はこれで全部です。



北欧神話に通じる箇所が多く見られ、クローケが片目を失った経緯などは、知恵と引き換えに片目を失くした主神オーディンのエピソードそのまま。
ただし、オーディンと違って、クローケが失くしたのは「夜の目」で、その為、この世の「影」(例えば悪いもの、醜いもの、悲しみや憂鬱)と名のつくものは一切見ることができなくなりました。
善いもの、美しいものしか見ることのできないクローケは「賢い」とは言えず、少々あさはかなのです。(※クローケは「賢い」という意味の言葉)
残された「昼の目」と、知恵の泉に沈んだ「夜の目」、二つが揃って初めて本来のクローケとなるのでした。



腕は良いのに商才がない、根っからの職人であるアルベルトと、本当は子どもたちを愛しているのに、はずみで「子どもなんかじゃまなだけよ」と言ってしまって、激しい自己嫌悪に陥るソフィア。
この二人は、本当にどこにでもいそうな夫婦で、良いところも悪いところもひっくるめて、とても人間的です。


対して、忘れ川の中州に住む領主夫妻は、なんとも現実離れしていて、まるで架空のお城で王さまごっこをしている子どものよう。
人に感謝されることが大好きな領主は、何一つ自分のものを持たない貧しい少女を妻にして、その願いを叶えてやることに至福の喜びを感じています。
でも、その妻はといえば、願いを自覚する前に、その願いが既に叶えられているという現実に飽いてしまい、何一つ願いごとを口にしなくなったのでした。



「どんな願いでもみんなかなうのなら、わざわざお願いしてもしかたないんじゃありません?」



傍から見ればずいぶんと贅沢な言い草です。
でも、そう言われてみると、人というのは「いつかは自分で叶えよう」と思う願いをひとつやふたつ持っていたほうが、本当は幸せなのかもしれません。


たったひとつ、夫人が何かの折に口にした「子どもがほしいわ」という言葉に、領主がしたことは、貧しいガラス職人の子どもたちをさらってくることでした。
彼にしてみれば、子どもたちを「引き取る」ことは、貧しい家庭の負担を減らしてやり、子どもたちは裕福な暮らしができ、妻は喜び、自分は妻に感謝される、まさに一石四鳥の「善行」なのでした。
少なからずあると思われる問題点、自分に都合の悪い点に関しては、かけらも思い至らないのです。


「見た目はオトナ、頭脳はコドモ」の人が、なまじ地位も財力もあるだけに、よけい始末に負えないのでした。


忘れ川を越えたせいで、向こう岸での記憶を全て失くしたクラースとクララは、領主の館で暮らし始めます。
裕福な家の子どもになったからといって、二人は少しも幸せではありませんでした。
領主夫妻は優しいけれど、あまりかまってくれないし、夫人のことを「かあさん」とは呼ばせてもらえません。
そのうち、奇行に走るようになったクラースに、「寂しいのかもしれない」と思った領主が雇った子守り女のナナは、子どもたちを支配し、押さえつけるだけの恐ろしい人でした。



魔女フラクサが、「夜の目」を取り戻したクローケを連れて領主の館を訪れるまで、子どもたちの不幸と領主夫妻の憂鬱は続きます。



「自分自身の主人になれない人は『領主夫人』ではありません。」と、夫人にきっぱり言ってのけたフラクサが、館を去る時初めて「ご領主様」「領主夫人」と、二人を呼んだのが印象的でした。
領主がその時初めて心から口にした「ありがとう」という言葉も。



北欧の神話や伝説に詳しい人なら、この物語にはもっとたくさんの発見があるかもしれません。



「夜のパパ」と同じ、この本の挿絵もハラルド・グリーペの版画で、静かで仄暗い物語の雰囲気にとてもよく合っています。

ブログランキングに参加しています。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。
くつろぐブログランキング参加中。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。
にほんブログ村ランキング参加中。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。

テーマ:児童書 - ジャンル:本・雑誌

[2008/02/19 14:43] マリア・グリーぺ | トラックバック(0) | コメント(0) | @
夜のパパ
夜のパパ夜のパパ
(2004/08/31)
マリア グリーペ

商品詳細を見る


夜だけのパパだっているのよ――


「夜のパパ」というのは、ユリアの家に夜だけ留守番に来る青年のことです。
看護婦をしているママが、自分がいない夜の間、ひとりっ子のユリアをひとりぼっちにさせないために、雇ったのでした。


小学生のユリアと夜のパパが交替で書くという形をとったこの本は、「まとまるまでは相手の書いたところは読まない」という約束によって、交換日記ともまた違うユニークな体裁になっています。
最初から最後まで、「夜のパパ」のほんとうの名前は明らかにされず、「ユリア」という少女の名前もまた、本名ではありません。
名前を聞いても「教えてあげない、ぜーったいに。」と言う少女に、夜のパパがつけた名前なのです。


ほんとうの名前すら知らない他人同士のふたりなのに、ほんとうの家族ですら持つことの難しい深い心の繋がりを、ふたりは持っています。


感受性の鋭いユリアは、飾らない言葉で鋭く核心を突いてくるので、読んでいてどきっとするほど。


「おとなってときどき、ほんとの秘密とはちがうへんなことを秘密にするじゃない。
ほんとのこと話すのがめんどうなもんだから、子どもをだますときが、よくあるでしょ。
あたしの<夜のパパ>は、そんなことしないわ。」



夜のパパは、ユリアを子ども扱いせず、彼女の言葉のひとつひとつをきちんと受けとめて、それについて考えます。
ふたりの会話は、時に詩的で、機知に富んでいて、思わず引用したくなる箇所がたくさんあるのですが、これから読むかたのために、それは控えますね。


夜のパパが連れて来たふくろうのスムッゲル、一夜だけ咲く美しい花「夜の女王」、様々なものをめぐって、ふたりの優しい心の交流が続きます。


「夜の女王」という花の和名は書かれていないのですが、私はとっさに月下美人を連想しました。
この物語を思い出す時いつも、雨と、月下美人と、窓から射す月の光が心に浮かんできます。


作者のマリア・グリーペは、スウェーデンの児童文学作家です。
彼女の夫であるハラルド・グリーペの挿絵が、お話の雰囲気にとてもよく合っていて素敵。

復刊ドットコムさんのお陰でめでたく復刊しましたが、偕成社版の表紙がとても好きだったので、それだけがちょっと残念です。


偕成社 1980年12月発行
マリア・グリーぺ/作
ハラルド・グリーぺ/挿絵
大久保貞子/訳

夜のパパ


ブログランキングに参加しています。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。
くつろぐブログランキング参加中。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。
にほんブログ村ランキング参加中。お気に召しましたらぽちっとお願いいたします。

テーマ:子どもの本 - ジャンル:本・雑誌

[2007/09/10 11:10] マリア・グリーぺ | トラックバック(0) | コメント(2) | @
| ホーム |

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

お世話になってます

【ほんぶろ】~本ブログのリンク集

RSSフィード

BlogPeople

フリーエリア

楽天市場のおすすめ商品

フリーエリア

おすすめお小遣いサイト


おすすめアンケートサイト

メールで送られてくるアンケートに答えてポイントGET! 貯まったポイントは換金できます。 マクロミルは事前アンケートがたくさん届くので、1~2ヶ月で500円貯まりました。

マクロミルへ登録

アフィリエイト

PageRanker