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雪の女王-七つの話からできている物語
雪の女王―七つの話からできている物語 (世界傑作童話シリーズ)





娘がひとりで本を読めるようになってから、読み聞かせの機会はめっきり減りました。
ところが先日、何を思ったか娘が「本を読んで」と言い出したので、久しぶりに引っ張り出してきたのがこの絵本です。


福音館書店の「雪の女王」
ラース・ボーの挿絵は、雪と氷に包まれた北の国のお伽話にふさわしく、ちょっと暗くて重厚で、それでいて繊細。
子どもよりも寧ろ、おとなが喜びそうな絵柄です。


アンデルセン童話の中では「雪の女王」がいちばん好きで、小学生の頃何度も読みました。
私の借りた本には挿絵がほとんどなくて、あっても小さなモノクロのカットでしたけれど。



子どもの頃に読んで、おとなになっても覚えていたのは

・「カイ」と「ゲルダ」という、ふたりの子どもの名前
・悪魔の作った鏡のかけらがカイの目の中に入ってしまい、そのせいでカイは、美しいものがねじれて見えるようになること。
・カイが雪の女王にさらわれ、ゲルダがたったひとりでカイを探しに旅に出ること。
・ゲルダは途中で山賊に捕まるけれど、山賊の娘がゲルダを逃がしてくれたこと。
・雪の女王の城で、カイが完成させようとしていた氷のかけらのパズル。
・パズルで作ろうとしていた言葉は「永遠」


今回久しぶりに読んでみて、忘れていることが結構あるのに驚きました。
私は、ゲルダをトナカイに乗せて逃がしてくれた山賊娘が好きで(粗野でワガママで乱暴なくせに、なぜか憎めないのです)、そこのところはよく覚えていたのですが、他はさっぱり…。
彼女以外にも、ゲルダは多くの人や動物たちに助けられて、雪の女王の城に辿り着いたのに。


あらためて読んでみると、なかなか深遠な物語でした。
雪の女王はカイに、氷のかけらで「永遠」という言葉を作ることができたら、「おまえを解放し、全世界と新しいスケート靴を一足贈ろう」と言います。
ところが、カイにはどうしても、その言葉のならべ方を見つけることができません。
完成しない氷のパズルを前に、座り込むカイ。


これって、文字通りの「パズルを完成させなさい」という単純な意味ではなくて、「永遠」とは何かを問われているか、あるいは、全世界と引き換えにできるほどの何かを求められているのだと思うんですけど。
でもそれは、実はそんなに頭を捻らなくても、ひとがあたりまえに持っているものかもしれません。
たとえば、カイに再会したゲルダが喜びのために流した涙だったり、その涙によって鏡のかけらを取り除かれ、ゲルダのことを思い出したカイの喜びだったり。
氷のかけらは、ふたりが再会を喜び合った途端、自然に「永遠」という言葉を形作ってみせたのですから。


懐かしい我が家へと戻ってきたカイとゲルダは、いつの間にかおとなになっていました。
ゲルダがカイを探して旅を続けた日々は、そしてカイが「永遠」という言葉を探し続けた日々は、思いのほか長かったのです。


この物語の結びの文章がとても好きです。


こうして、大人だけれど子どもの、そう、心が子どものふたりは、そこにすわっていました。
それは、夏のことでした。
あたたかい、めぐみあふれる夏でした。




1979年初版。
2005年に、アンデルセン生誕200年記念として限定復刊しました。
この本はその時に買ったものですが、今はまた絶版です。
大塚勇三さんの訳はこの絵本でなくても読めますが、ラース・ボーの挿絵が素晴らしいので、絶版なのが惜しまれます。


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[2009/03/31 16:20] その他の童話 | トラックバック(0) | コメント(0) | @
ある母親の物語
アンデルセン童話集〈2〉アンデルセン童話集〈2〉
(2002/06/20)
H.C. アンデルセン

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昔の話です。
私は、保育園に預けられていたのですが、保育園が大嫌いでした。
毎日毎日、4時だったか4時半だったか、母が迎えにきてくれるのが待ち遠しくて仕方ありませんでした。


その頃の私は、家族といる時はおしゃべりなのに、一歩外へ出れば不思議なほど無口な子どもで、おとなばかりか同年代の子どもたちとさえ上手く話すことができませんでした。
覚えのないいたずらを自分のせいにされても「違う」の一言も言えないような有様で、我がことながら今思い出しても歯がゆいほどです。
そんなにも嫌だったのに、なぜ母に「行きたくない」と言えなかったのか。
弟も「朝起きたら、涙が出てくる」と言うくらい嫌がっていたのに、なぜ「行かない」と言わなかったのか。
あの頃の私たちは、どうも「保育園は行かなくてはいけないところ」と思い込んでいたふしがあります。


年長の時に初めて顔を合わせた幼馴染は、「『行きたくない』ってうそ泣きしたら『じゃあ行かなくていい』って言ってくれたよ」とケロッとしていました。
そうして、それまでまんまと逃れていたのに、小学校へ上がる前に共同生活に慣れておいたほうが…というご両親の考えから、一年間だけ保育園に通うことになったそうです。
幼稚園がなかったので、保育園がその代わりだったんですね。
たいていのお母さんたちはお勤めには出ていなくて、家で農業やら内職やらお店やらに精を出していた覚えが…。



前置きが長くなりましたが、そんな嫌で嫌でたまらなかった保育園での私の唯一のちいさな楽しみが、先生がたまに気まぐれにかけてくれるお話のレコード(テープだったかも)でした。
子どもたちがそれぞれ好きな遊びをしている時間にスピーカーから流れてきて、たいてい絵本を見ていた私は、お話が始まるとすぐにそちらに耳を傾けました。

その中のひとつに、死神にぼうやを攫われたおかあさんの話があって。

ぼうやを取り戻そうと、死神のあとを追うおかあさんが最初に出会ったのは「夜」でした。
「子守唄を歌ってくれたら死神の行方を教えてあげる」と言われ、彼女は「夜」のために子守唄を歌い続けます。
次に出会ったイバラには「私をあたためてくれたら教えてあげる」と言われ、血まみれになりながらイバラを胸に抱いてあたためます。
そうして辿り着いた湖で、「あなたの目をくれるなら、死神のいる向こう岸へ運んであげよう」と湖に言われ、両目を差し出すのでした。

この後、死神は、湖から取り戻した両目をおかあさんに返してあげたと思うのですが、結末がどうだったのか、さっぱり思い出せないのです。
あんなにいっしょうけんめい聴いていたはずなのに!


タイトルも作者も知らないこのお話が、アンデルセン童話の「ある母親の物語」だと知ったのは、ずっと後のことでした。
今、手元にある岩波書店版「アンデルセン童話集2」を読み返してみると、結末を覚えていなかったわけが解るような気がします。
4、5歳の子どもに、この結末はあまりに重く、そして深い…。


死は決して覆せないということ。
神の御心に背いて得るものは何一つないということ。
キリスト教の観念に基づいたお話だと思いますが、「死は覆せない」という点において宗教の壁はありません。
宗教以前の、議論する余地もない世の理です。
でも、それが真理と解っていても、やはりこの母親が哀れで。
魂を引き千切るように絞り出した、死神への最後の願いが、胸に痛いのです。


結末を知った時、私は本当にこのお話を保育園で聴いたのかどうかがあやしくなってきました。
こんなお話、保育園児に聴かせるかなぁ…?
でも、確かに「読んだ」のではなく「聴いた」という覚えがあるのです。
もしかしたら、どこか別の場所で聴いたお話を保育園で聴いたものと思い込んでいただけかも。
ひとは無意識に自分の記憶を改ざんすることがあるらしいので。

それにしても、保育園でのたったひとつの楽しみだったと思っていたものが、そうではなかったかもしれないなんて…。
あの頃の私が余計にかわいそうに思えてきました(泣)


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[2009/03/19 15:58] その他の童話 | トラックバック(0) | コメント(2) | @
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