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沼地のある森を抜けて
沼地のある森を抜けて (新潮文庫)沼地のある森を抜けて (新潮文庫)
(2008/11/27)
梨木 香歩

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ひとことで言うなら、「ぬか床から始まる壮大な命の物語」


時子叔母が亡くなったせいで、先祖伝来の「ぬか床」を引き継ぐことになった久美。
それは、久美の曾祖父母が駆け落ちする際に、故郷の島から持って来たという曰く付きのシロモノ。
毎朝毎晩掻き回すという世話を怠れば悪臭を放ち、時には呻き声を上げ、稀に卵(!)が生まれたりする。
そんなもの捨ててしまえばいいと思うのだが、どうやらそうはいかない理由があるらしい。


…こんなぬか床を引き継いだら、あなたならどうしますか?


私なら捨てます。
毎朝毎晩掻き回すって、旅行とか出張中はどうするんですか?
卵から人が湧いてくるって、ホラーですよ、それは。
結婚相手にはなんて説明するんですか?
一生ぬか床に縛られて生きるなんてごめんだー!!!

…と、普通は思うはずで、久美もそうだったのですが、ぬか床の世話と引き換えに時子叔母のマンションをもらうことで、何とか折り合いをつけたのでした。
当初は「呻く」とは聞いていても、卵のことはまだ知りませんしね。


そして、ぬか床を引き取って一週間あまり経った頃、卵発見!
最初の卵から孵ったのはきれいな男の子で、半分透き通っていたその子は、久美が世話を焼いているうちに段々と実体化してきます。
久美の幼馴染のフリオには、その子が小学校時代の親友「光彦」に見えるけれど、久美には、幼い頃のフリオに見えるのです。

どうやら、ぬか床から生じる人々には、見る者(あるいはぬか床に関わった者)の心理が投影されるらしく。


次の卵から孵ったのは、和服姿に三味線をかき鳴らす「カッサンドラ」
のっぺらぼうに口だけの顔、二次元的な両眼は蛾のようにひらひらと部屋の中を飛び回るという、不気味な姿をした女性です。

面白いのは、久美がすぐにこの状況に慣れてしまったこと。
半分透き通っていた「光彦」が徐々に実体化してきた例から、のっぺらぼうの「カッサンドラ」も人間として出来上がる途上なのでは…なんて考えます。


カッサンドラは、おそらく「母性」の中のいちばん暗い部分、どろどろとした情念で構成されたような、そんな印象を受けます。
例えば、聖母のイメージが「正」であるなら、カッサンドラは「負」
全ての女性の中に普遍的に在る、正体の見えない黒い「何か」


やがてカッサンドラは久美が消滅させてしまいますが、消える間際にやっと、かつての優しい母の顔になるのでした。



この「ぬか床」とは、いったい何なのか?


時子叔母の友人から叔母の伝言を聞き、叔母が遺した日記を読んでも、謎はやはり謎のまま。
久美は、両親や叔母の死の真相と「ぬか床」の正体を知るためには、曾祖父母の故郷の島に行くしかないという結論に至ります。

やがて久美は、同じ会社の研究所で酵母の研究をしている風野さんと共に、ぬか床を故郷の島に返しに行くことになるのですが…。


この風野さんという男性が、非常に個性的でユニークです。
女言葉を話し、変形菌に「ケイコちゃん」「タモツくん」「アヤノちゃん」と名前をつけて愛でるような可愛い人ですが、決してニューハーフではありません(笑)
彼が「男」であることを捨て、「無性」であることを選んだ背景は実に壮絶で。


末期癌の母に、死ぬ直前まで家事一切を負わせ、死後に母のことを「結納金のわりには案外もたなかった」と、まるで消耗品のように言う祖父に、怒りのあまり日本刀を抜こうとしたそうです。
父権社会の横暴さに怒りを覚えての行動だったのに、その自分の抗議の仕方が男そのものだったことに愕然として、自分もまた母の死の遠因だったのかもしれないと思い至ったのだとか。



そんな彼もまた、知らないうちにぬか床の影響を受けていて、呼び寄せられるように島へと渡ったわけです。
その島で、ふたりは意外な人物に出会い、久美のルーツや、両親と叔母の死の真相も明らかになるのでした。



本編の二章おきに一章ずつ挟まる「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」というのは、「ぬか床」あるいは島の沼地の中のミクロの世界の出来事を寓話のように書いているのかと思いましたが、説明がないのではっきりとは分かりません。
でも、現実で起きていることと微妙にリンクしている部分があって、そういうキーワードに出くわすと、それが妙に頭の隅に引っかかります。
「シマの話」の「僕」が得意なパンフルートは、本編の「光彦」も出現してすぐに吹いていたし、「僕」につけられた「ロックオープナー」という名前は「水門を開ける者」のことで、これは久美の行動に重なるような気がする…。


梨木さんは、エッセイの中でしばしば「境界」とか「壁」について書かれていたように思います。
解りやすいところでは家の敷地と外を隔てる生垣であったり、意識の上での自己と他者との境界であったり。
「隔てる」というか、逆に言うなら内と外を「作る」もの。

この小説にも、細胞膜、細胞壁、ウォール…といった具合に、自己と他者、内と外とを隔てる(作る)もの、自己規定の拠り所として、あらゆる「壁」が出てきました。

梨木さんがエッセイの中で展開していた思考をもっともっと拡げていくと、こういう小説になるんですね。すごいなぁ…。


あと、風野さんが語る様々な菌の話が、興味深くて面白かったです。
植物の根と共生している外生菌根が作るネットワークとか、風野さんがジョーカーに例えたキラー酵母のこととか。
思えば、あの「キラー酵母=ジョーカー」というのも伏線だったのでした…。



風野さんの「解き放たれてあれ」という言葉と共にもうひとつ、印象深かったある人物の言葉。


世界は最初、たった一つの細胞から始まった。
この細胞は夢を見ている。
ずっと未来永劫、自分が「在り続ける」夢だ。
この細胞は、ずっとその夢を見続けている。
さて、この細胞から、あの、軟マンガン鉱の結晶のように、羊歯状にあらゆる生物の系統が拡がった。
その全ての種が、この母細胞の夢を、かなえようとしている。




この小説のはじまりが「ぬか床」だったことに、読了後あらためて感嘆しました。



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テーマ:小説 - ジャンル:小説・文学

[2009/06/25 16:47] 梨木香歩 | トラックバック(0) | コメント(8) | @
<<ジョニーくん | ホーム | 青い花>>
コメント
----
コメントいただきまして
どうもありがとうございました。

まさかぬか床からここまで
話が広がるとは思いもよらず、
ほんわかとしたちょっと不思議な
日常の物語が展開するのかと思っていたので、
後半は本当に圧巻の展開でした。

梨木作品は最初かなり苦手だったのですが、
ここまでの作品を書ける力量と、
「家守綺譚」のような作品を書ける才能が
組合わさって、今後どのような作品が読めるのか
とても楽しみになっています。

風野さんのキャラクター、
都合が良すぎるような気がするものの、
絶妙の設定で生かされていましたね。
[2009/06/28 00:30] URL | ANDRE #mQop/nM. [ 編集 ]
--ぬか床…--
こんにちは。
つい先日、母がぬか床を捨てた理由を聞いたばっかだったので、笑いながら読んじゃいました。
これもなかなか面白そうですね。

くだんの「家守綺譚」を先日買ってきました。
さっそく読んでみます☆
「薔薇下~」がみつかりませんでした(涙
ま、そのうちー。
リンクありがとうございます。
事後報告しようと思ってすっかり忘れ、勝手に貼ってもうしわけありませんでした。
ふつつか者ですが、今後ともよろしくお願いします。ペコリ
[2009/06/28 15:52] URL | さくら #- [ 編集 ]
--ANDREさんへ--
こちらこそ、コメントいただきましてどうもありがとうございました!

梨木作品、私も「裏庭」がダメで、それ以降敬遠していたのですが、「村田エフェンディ滞土録」「家守綺譚」にどっぷりハマってからは続けざまに読んでます^^

そのうち「家守綺譚」の続編が出るのではと、楽しみでなりません。

風野さん、私の乏しい読書暦の中では出会ったことのないタイプだったので、新鮮でした。
女言葉を話すキャラクターは珍しくありませんが、別に女性になりたいわけではなく、「男」であることを放棄した人ですから。
何事にも真摯で、ある意味不器用な、生きにくい人だなぁ…と。

きっと、その後の彼はもう少し楽に生きられるようになったはず。
ほんと、彼のキャラが生かされた展開でしたね^^
[2009/06/29 00:29] URL | asagi #9kA7E2gM [ 編集 ]
--さくらさんへ--
こんばんは♪

ぬか床!
私の実家にあったものも、いつの間にか消えてました…。
母には敢えて追求しませんでしたが、なんとなく想像がつくような(^^;

この小説を読んだ後では、ちょっと惜しいような気がします…。

「家守綺譚」さくらさんが読んでくださるなんて嬉しいな~(*^^*)

>「薔薇下~」←こういう略し方がさくらさんらしくてv-218

リンク、すっごく嬉しかったですよ~(*^^*)
こちらこそ、どうもありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたしますっm(__)m
[2009/06/29 00:43] URL | asagi #9kA7E2gM [ 編集 ]
--ゾクゾクします~--
ぬか床=母ってなイメージが底にあるのでしょうか?
面白そう~~っと思ってレビュー読みました

私も何度か、ぬか床にチャレンジしたことありますだ
毎日混ぜるのって大変で…(ハハハハハ)
生まれ故郷へぬか床を持って帰る
これ…相当、大変な作業じゃないかと思います
どんなに密閉しても…そこはか~となく匂うあのニオイ(笑)
遠くから匂うと…オナラの匂いに似ております
(アハハハハハハ)
[2009/07/02 10:15] URL | 満天 #- [ 編集 ]
--満天さんへ--
満天さん、鋭いっ!!!
故郷の島の沼地=母胎で、件のぬか床には沼地の泥が含まれているのです^^

>生まれ故郷へぬか床を持って帰る
これ…相当、大変な作業じゃないかと思います

そのあたりは割愛されてました(笑)

ところで、外生菌根のネットワークのくだり、私は「蟲師」の「ムグラ」を連想しましたよ~。
山の神経のように張り巡らされた「ムグラ」という蟲に、ギンコが自分の意識をのせて人を探す「ムグラノリ」という技(?)があったじゃないですか。あれです^^
[2009/07/02 13:24] URL | asagi #9kA7E2gM [ 編集 ]
----
こんにちは。
私も昨日読み終えたとこです!
FC2で記事検索してやってきました。
「上手に書かれてるな~」って思って読んでたらasagiさんでした!!納得!
おかげで私の頭の中もすっきり整理できました。

ぬか床からここまで広がるとは思いませんでした・・。感動です。
私は、細胞とか酵母とか生物学的な話が苦手なのですが・・(^^;
でも梨木さんが描かれてると、何としても理解しようと思えてきます。
[2009/10/03 15:26] URL | るるる☆ #- [ 編集 ]
--るるる☆さんへ--
こんにちは。お久しぶりです!
勿体ないコメントありがとうございますm(__)m

>細胞とか酵母とか生物学的な話が苦手なのですが

私もです(^^;
でも、この小説の中で、久美や風野さんが話すミクロの世界の出来事には、ものすごく興味を惹かれました。

若い頃にこういう小説を読んでいたら、もっとそっち方面に興味が湧いて、進路も違ってたかもと思いますね~^^
もう遅いけど…。
[2009/10/05 17:30] URL | asagi #9kA7E2gM [ 編集 ]
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